老人ホームを探すきっかけ

老人ホームを探すきっかけは、そのご家族で様々な理由があると思います。

ここでは、私たち夫婦が家内の父のために老人ホームを探すことになったいきさつをお話しします。

父の性格

家内の父は昭和12年生まれで、現在82歳です。

70歳の時に脊椎に腫瘍が見つかり、それを取り除く手術をしました。

術前の説明にもあったのですが、脊椎の手術ですので、術後、下肢に障害が残るリスクがあるとのことでした。

腫瘍自体は良性だったのですが、脊椎を手術したことにより、リスクの説明の通り両足にマヒが残る結果となってしまいました。

その後のリハビリで何とか立てるようにはなったのですが、杖を2本両腕で持ってやっと歩けるのが精一杯という状態になってしまいました。

6か月のリハビリを経てやっと退院し、自宅には戻れたのですが、2本の杖で少し歩けるという不自由な生活を余儀なくされました。

その結果身体障害者4級となりました。

その頃、家内の母は健在でしたがガンを患っており、その約1年後に他界しました。

そこから、体の不自由な家内の父の一人暮らしが始まったのです。

家内の父はとにかく人見知りで、社交性が全くない人です。

家族には全く問題ないのですが、他人とは決して交わろうとはしません。

むしろ嫌がります。

ただ、一つだけ例外があります。

それは、趣味の将棋を指す時です。

若い頃から将棋がめっぽう強く、田舎ですが、その地域の将棋大会で何度も優勝しており、将棋を指す時だけはどんなに他人でも平気なんです。

脚は不自由になりましたが、障害者用に改造した軽自動車で、将棋好きの集まる集会所に将棋を指しに週3回ほど通っていました。

また、外食が好きで改造した軽自動車で食事に行くことを楽しみにしていました。

このように、家内の母がなくなってからは、趣味の将棋と外食を自由に楽しみ、それ以外は自宅で好きなテレビを見て過ごすという、ある意味気ままな一人暮らしをエンジョイしていました。

私たち家族もそのような父の生活を見守り、手助けすることがいいのかなと思っていました。

しかし、家内の父は家の中でも2本の杖がないと移動できませんし、その父の生活をサポートすることは正直大変でした。

私の家から家内の実家までは距離にして約40キロ、車で片道1時間20分はかかります。

2本の杖で移動しますので、両腕が塞がり重いものは当然持てません。

ですから、買い物や身の回りの世話で家内か私が週1、2回家内の実家に通うという生活が長く続きました。

特に冬は寒さが脚に堪えるので、石油ファンヒーターの給油のために訪問の回数が多くなります。

そこで、家内の父が家で自由に動けるよう、家中に手すりを設置し、要介護2の介護認定がありましたので、灯油の給油や食事の準備、掃除等を介護ヘルパーさんにお願いできるよう手続きをし、そのヘルパーさんが初めて来られる日に事件は起こりました。

家の中で転倒、圧迫骨折

家中の手すりは私が付けました。

家内の父と相談し、ここに欲しいと言われたところ全てに手すりを付けたんです。

しかし、介護ヘルパーさんが初めて来られる日、父は台所で入れたコーヒーを居間に持っていこうとしたところで転倒したんです、

家内の父と相談し、台所から居間の途中も手すりを付けました。

しかし、もう一か所ここに付けてほしいなと思った場所に後から気付いたそうで、次に私が来た時に付けてもらおうと思っていたらしく、運悪くそこで転倒してしまったんです。

激痛が収まらないらしく、私のところに電話が入りました。

家内と即、家内の実家に直行です。

ヘルパーさんが来られる時間の前でしたので、ヘルパーさんにお断りの連絡を入れ、病院に連れて行ったところ、圧迫骨折が判明、即入院となりました。

高齢に加え骨折の程度も酷かったので、4か月の長期入院となりました。

老健施設を探す

家内の父は入院中から早く家に帰りたいと希望しておりました。

しかし、退院してすぐに一人暮らしは無理だと思い、その地区の老健施設を探すことにしました。

老健施設は正式には介護老人保健施設といい、主に医療ケアやリハビリを必要とする要介護状態の高齢者(65歳以上)を受け入れています。

食事や排泄の介助といった介護サービスは提供されるものの、主に自宅などに戻るためのリハビリが中心です。

ですから、自宅復帰に向けた準備としては最適だと考えたのです。

老健施設をいくつも訪ねてみました。

しかし、老健施設は主に自宅などに戻るためのリハビリが中心とはいうものの、実態はかなり違ったものでした。

実際の利用者の方たちを見ると、どう考えても自宅には帰れそうにない方たちが大半で、かなり重篤な状況の入居者の方も少なくありませんでした。

どうも、老健施設の目的と実態には大きな開きがあるなと感じながら、老健施設を見て回りました。

入院中の家内の父は、長くベッドに寝ていたせいもあり、ますます足腰が弱くなっていました。

病院でのリハビリの様子など見ておりましたが、家内の父の希望通り自宅へ帰るにはとても無理な状況となっていたのです。

私も家内も家内の父の希望通り、自宅へ帰れるようその準備として老健施設を探していましたが、私たち夫婦の中では、家内の父が自宅で一人暮らしをするのはもうとても無理ではないかとの考えに変わってきていました。

そこで、退院後本人が自宅へ帰り、一人暮らしを再開すること自体が無理だと自覚してもらうために、老健施設でリハビリをして、自分の状態を理解してもらうために、言い換えれば諦めがつくよう、本人が納得するように老健施設に入所できればとの考えに変わりました。

それなら、車で片道1時間以上もかかる、家内の実家の近くの老健施設ではなく、私の家に近い老健施設の方が便利だと思い、私の自宅近辺の老健施設を探すことにしました。

そこで、私の父が以前デイサービスでお世話になっていたグループの老健施設を訪ねてみました。

そのグループは病院が母体で、老健施設ほか、サービス付き高齢者向け住宅、軽費老人ホーム、特別養護老人ホーム、ケアハウス、グループホーム等幅広く手掛けている所です。

そこで相談したところ、家内の父が要介護4(入院中に介護度が要介護2から要介護4へ)であること、認知が全くないことを話したら、ぜひうちへどうぞとの話になりました。

さらに、運用次第ではずっとこの老健施設にいることができるといった趣旨のお話もされました。

これが後の老人ホーム探しの展開に繋がっていくのですが、その時点ではリハビリも受け、さらにずっとそこにいても構わないという話でしたので、ありがたいと思い入所をお願いしました。

老健施設に退所を求められる

家内の父は病院を退院し、その日に私の家に近い老健施設に入所しました。

ショートステイや一時帰宅(私の家に2泊する)などを取り交ぜ、老健施設でリハビリを受ける日々が続きました。

介護保険の点数の関係でショートステイや一時帰宅を組み入れなければならなかったようです。

ある期間が経過すると、リハビリの回数は減りますが、それでもある程度のリハビリは受けることができました。

一時帰宅で私の家に帰ってきた際、家内の父と腹を割って話をしました。

もう自宅に帰って、一人暮らしをするのは無理ではないかと話したんです。

すると家内の父は、自宅に帰りたいのはやまやまだが、この体では一人暮らしはとても無理だし、今お世話になっている老健施設にいられるのなら、そこでお世話になりたいと言ってくれました。

家内の父も薄々自宅に帰ることは無理だと悟っていたんでしょうね。

私も家内も一安心し、家内の父を現在の老健施設でお願いすることにしました。

家内の父は入院中に介護認定が要介護4に変更されていました。

おそらく、介護保険判定の担当者が家内の父の入院中の最も状態の悪い時に訪ねてこられたからではないかと思われます。

要介護4の判定が出たのは正直驚きでした。

それから半年後、再度介護保険の判定が行われました。

介護保険判定の担当者が老健施設まで訪ねてこられました。

そこで出た判定が要介護2です。

認知は全くありませんし、私もその程度が妥当ではないかと思っていました。

しかし、この要介護2という判定で老健施設の態度が一変します。

家内の父の曰く、急にリハビリの内容がトイレの練習等といった、自宅復帰向けの練習に変わったそうです。

そして老健施設の担当者から、すぐにという訳ではないが次の行き場を探してほしいといった話が出ました。

もちろん、次のところが決まるまで出ていく必要はないが、家族は検討を始めてほしい、こちらも次の行き先探しには協力すると。

非常にやんわりではありますが、要は退所してくれということなのです。

私はこの老健施設に以前から薄々不信感を抱いていましたので、いいきっかけかなとも思いました。

これにより、私たち夫婦の老人ホーム探しが始まったのです。

次のページでは、私たち夫婦がどのようにして老人ホームを探したかについてお話しします。

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